ファミコンを振り返る – ゼビウス

Game

ゼビウス

Xevious (FC)
ファミコン版ゼビウス

タイトルゼビウス
発売日1984年11月07日
販売元ナムコ(現バンダイナムコ)
価格4,900円

1983 [60fps] Xevious 582880pts
アーケード版ゼビウス

1983年、アーケードで稼働を開始した「ゼビウス」は、空中の敵をザッパーで撃ち落とし、地上の敵をブラスターで破壊するという二つの攻撃方法を有する斬新なシステムと、美しいグラフィックで彩られた背景やメタリックな質感のリアルなキャラクタ、そして何よりもゲーム内では語られない設定や物語に裏打ちされた世界観に、当時のゲーム少年たちによって歓喜の声を以て迎えられた。翌1984年、縦スクロールシューティングゲームのパイオニアともいえる「ゼビウス」はファミコン向けに移植され、任天堂をも驚かせるヒットを生み出す。

ギャラクシアン

ナムコ ミュージアム オブ アート第1回 ギャラクシアン(1979年)
ナムコ ミュージアム オブ アート第1回 ギャラクシアン

アーケードゲーム業界におけるスペースインベーダーブームも落ち着きを見せ始めていた1979年、既存各社が未だクローンゲーム制作に明け暮れ、インベーダーゲームからの脱却を模索していた最中、ナムコは自社初のシューティングゲーム「ギャラクシアン」を発表した。このゲームはスプライト技術を活用して、それまで黒一色の虚無空間だった背景に流れるきらびやかな星々を輝かせ、単色でのっぺりした不自然な動きのインベーダーを、画面内を自由自在に動き廻るカラフルなキャラクタに置き換えたことで、スリリングな展開を生み出した作品だった。襲い来る敵からの攻撃を回避しつつ迎え撃つ、シューティングゲームというジャンルの基礎を確立するとともに、スプライト技術利用という2Dゲームの基礎をも確立した、ゲーム史上忘れてはならない一作として大ヒットを収めた。

スプライト技術
スプライト技術とは、背景とは別にキャラクタの処理を分離させ、負荷の高い画像の重ね合わせ処理をハードウェア的に行なうことで、高速に描画を行なう技術です。スプライト技術を使わない場合、都度、画面全体を書き換えると共にキャラクタがいる位置では背景とキャラクタの合成処理をソフトウェア的に行なうため、非常に負荷が高くなりますが、キャラクタをスプライトにすることで、背景をいじることなく、キャラクタは座標を指定するだけで、高速に合成と描画をハードウェアが行なってくれるため、単純な描画はもちろん、キャラクタの移動なども簡単に行なうことができました。現在では描画性能の向上により、ハードウェア的なスプライト技術が採用されることはなくなりましたが、Unityなど開発環境(フレームワーク)では2Dゲーム向けにソフトウェアで疑似的なスプライト技術を利用することが一般的になっています。

スプライト技術を広く知らしめたのがナムコであることは疑いようがありませんが、この技術はナムコが発明した訳ではなく、ATARI社のスティーブ・ブリストー氏がキッカケとなり、ATARI社のシンクタンクとして技術的な協力関係にあったシアン・エンジニアリング社のメンバーによって基礎が築かれ、ATARI社のライン・レインズ氏によってよりスプライト技術らしいものに改良が施されました。ATARI社はこの技術を「モーションオブジェクト」と呼んでおり、ナムコもこれに準じて「オブジェクト」と呼んでいました。スプライトという用語はチップ設計者らが後から生み出したものです。

Atari Kee Games Indy 800 arcade video game 1975
ATARI Indy800

1975年頃、ゲームメーカー各社は画面上に複数のキャラクタをいかに効率的に描画するかという問題に直面していました。「ポン」などの初期の単純なゲームであれば表示回路をキャラクタ毎に組んでもさしたる問題ではなかったのに比べ、複雑かつ高度化するゲームでは従来の方式は余りにも無駄多く、例えば8台のマシンが画面内のコースを競い合うレーシングゲーム、ATARI社の「Indy800」では車毎に基板一枚を使ってゲームを実現するという有様でした。一方、スティーブ・ブリストー氏は、以前からアメフトをゲーム化したいという構想があったのですが、アメフトは1チーム11人のスポーツであり、ルールそのままに作るとすれば少なくとも20以上のキャラクタを一度に処理する必要がありました。彼の構想を実現するためにも、従来とは根本的に異なる新たな技術の創出が必要だったのです。こうしてブリストー氏によるスプライト技術の開発が踏み出され、シアン・エンジニアリング社のスティーブン・メイヤー氏との共同研究により、その第一歩は「Multiple image positioning control system and method(複数画像位置制御システムとその方法)」という特許に示されることとなりました。これ以降のゲームでは6人対戦のようなゲームでもすべての機能を1枚の基板に収めることに成功しています。もっとも、この特許にはキャラクタと背景の合成という、スプライト機能のスプライト機能たる概念が盛り込まれていないため、まだまだ技術の確立とは言い難い状況でした。

Arcade Longplay – Tank 8 (1976) Atari
ATARI Tank8

その後、ブリストー氏は人事により担当を離れてしまいますが、既に濃密な関係にあったメイヤー氏の率いるチームがキャラクタ表示に関する研究を着実に引き継ぎ、1975年末までには、ビデオ信号の走査タイミング(水平帰線期間)を利用して背景とキャラクタを合成するスプライト技術の基礎を確立させます。これによりATARI社は自社で初めてマイクロプロセッサを採用したことでも知られる8人対戦の戦車ゲーム「Tank8」で、世界初のスプライト技術の実用化を果たしました。

Arcade Game: Atari Football (1978 Atari)
ATARI

メイヤー氏のチームはこれ以降アーケードゲーム開発から遠ざかり、家庭用ゲーム機への技術転用を進めていきます。次に研究を引き継いだのはATARI社のライル・レインズ氏でした。彼は技術をさらに発展させ、複数のスプライトキャラクタを重ね合わせて表示することを可能にしました。また同時表示数を16に引き上げたことで、遂にブリストー氏の夢であったアメフトゲーム「ATARI FOOTBALL」を完成させるに至ります。稼働を開始した1978年には米国最大のヒット作となり、NFLシーズン中には「スペース・インベーダー」をも凌ぐ人気を博しました。ちなみにこのゲーム、トラックボールを初めて採用したゲームとしても有名です。「ATARI FOOTBALL」で用いられたスプライト技術は汎用化され、MOC-16 (Motion Object Control, 16 objects) というシステムにまとめられました。

スクランブル

スクランブルAC版 SCRAMBLE
AC版 コナミ SCRAMBLE

「ギャラクシアン」のヒットにより、クローンの対象が「スペース・インベーダー」から「ギャラクシアン」にシフトしただけのメーカーも多数存在したことは事実だが、スプライト技術の導入が示す新たな可能性に多くのメーカーが刺激された事も事実であり、ブームの対象がインベーダーからシューティングゲーム全般へと拡大したのは、そうした潮流が小さな波となって、メーカー各社に挑戦を促したからこそ大きなうねりとなった結果であった。
その小さな波のひとつにコナミの「スクランブル」があった。「スクランブル」は、題材こそ宇宙を行く戦闘機による敵の殲滅というありふれたものであったが、実質的には後の同社「グラディウス」に直接の系譜を引く作品であり、要するに国産横スクロールシューティングゲームの始祖とも言える画期的な作品だった。「ギャラクシアン」でも背景はスクロールしたが、それらは漠然とした流れる星空の表現などでしかなく、敵基地奥深くに侵攻していくという場面転換に見る物語性は「スクランブル」で初めて採用されたものだった。また、このゲームから採用された前方向ショットと投下型ミサイルの二つの攻撃方法を使い分けるゲーム性は、現代でこそ当たり前のものであるが、それを当たり前たらしめたのは、このゲームがあったればこそである。

シャイアン

「ギャラクシアン」がアーケードゲーム全般の技術的なデファクトスタンダードを示したのに対して、「スクランブル」は横スクロールシューティングのデファクトスタンダードを示したことで、ナムコもまた刺激される側として、次の一手を要求される立場となる。セガの「スペースオデッセイ」、SNKの「ヴァンガード」、タイトーの「スペースシーカー」、データーイーストの「ミッションX」などのように、市場ではスクロールマップ、対空対地の撃ち分け、8方向レバー操作といった特徴を持つ作品群が一種のトレンド化を果たした一方で、決定打となるような作品を欠いていた。
そこでナムコにより企画されたのが「ゼビウス」の前身となる「シャイアン」である。当時ナムコに務めていた佐藤誠市氏によると「シャイアン」は、企画会議に提出された一枚の企画原案が次の開発対象として「なんとなく」選ばれたものだったという。この書類は社内公募の企画コンペ向けに書かれたもので、飛行機が街の上空から空中と地上の敵を攻撃している様子に自機の移動可能範囲を示しているらしき点線の矩形が描かれた画面のイラストと、操作系のイラストとして射撃ボタンの付いた操縦桿型レバー、高度調節ための独立コントローラー、爆撃ボタンが描かれていた。先のトレンドを汲んだマーケティング主導の形でこの原案を元に、縦スクロール方式で、ベトナム戦争を想定した、森林の上空を飛び、空中と地上の敵を蹴散らし進攻していくシューティングゲームとしての「シャイアン」が企画書にまとめられた。もっとも、発案者はビデオゲームの開発ではなかったこともあり、ハードウェアの知識がなく考えた事は何でもできると思っていたらしく、原案の真意は自機が急降下すると地上が拡大表示され、旋回すると地上が回転するというゲームをイメージしたものだった。だがこれを実現するには、最低でもスクロール、回転、拡大縮小機能などが必要であり、当時としては明らかにオーバースペックな内容だったため、そうした意図を読み取られることなく、勘違いしたまま企画書はまとめられたことになる。
佐藤氏は出来上がった企画書を持って開発部長に説明する役割を担ったが、あまり乗り気ではなかったように記憶している。ただ「このゲームは面白いの?」と部長に問われた瞬間にスイッチが入り、空中の敵を連射でやっつける「ギャラガ」の爽快感と、地上の敵を一発必中で狙う「ギャラクシアン」の二つの魅力を併せ持つものだと力説していたという。またその部長から「スクランブル」を真上から見たもののようだと指摘された時に「なるほど」と思ったことは覚えており、その時になるほどと思ったぐらいなので「スクランブル」についてはそれまで意識してなかったと氏は考えている。とはいえ「シャイアン」は結果的には「スクランブル」の後を追う企画として動き始めることとなった。そしてこの「シャイアン」のゲームデザイナーとして開発を引っ張っていくことになったのが、後にゲームの神様の異名を取っていたこともあるゲームクリエイターの遠藤雅伸氏であった。

パンツァー

初期仕様が固まり、ハードに合わせて実現可能な仕様に調整が入ると、キャラクタがデザインされた。カスタムICが設計され、直接ゲーム性とは関係のないソフトウェアの骨格が設計されると、実際にプログラムを組みながら、ゲームの仕様を調整していった。敵はホーミングミサイルを撃つヘリコプター、ミサイルを撃つジェット機、戦車、対空ミサイル、レーダー、飛行場、端、列車、燃料タンク、空母、潜水艦、輸送船などが登場し、ゲーム性としては空戦主体のギャラガ的で、全体に流れる雰囲気としては近未来戦争のリアリティを求めたものになっていた。しかし、当時を知りナムコの取締役社長も務めた石村繁一氏によれば、「”人の影を感じる”ものはやめよう」という方針から、リアルで悲惨な近代戦争を臭わす設定をやめ、SF色を強くしたモノへと舵を取りなおすこととなった。中村製作所時代、ナムコはExidy社の「Death Race」という人間を車で引き殺した数だけスコアになるという米本国でも倫理上社会問題となったゲームをサンプル輸入したことがあったが、そのゲーム性にやはり違和感を禁じ得なかった過去があり、そういった経緯からもリアリティを追及することでその森に隠れた敵兵を想像されることを嫌い、無機質なものにしたと語っている。これより「シャイアン」は「パンツァー」という作品に名前を変えることになる。

フォント

Arcade Longplay – Gee Bee
Gee Bee

ナムコ初のアーケードゲーム「ジービー」では通称「アタリ文字」と呼ばれる米ATARI社のクイズショー書体のバリエーションフォントを利用していた。1980年に絶大な人気を得た「パックマン」でも利用されたことで、アタリ文字はこれを機に日本国内でも広く知られる結果となった。後には任天堂、コナミ、タイトー、ハドソンらも使用するなど業界標準ともいえるゲームフォントの一つとなったが、「パンツァー」ではこのナムコ伝統の「アタリ文字」の利用をやめた。代わりに採用されたのはLetraset社のカウントダウン書体に近いもので、そのデザインはウェイト配分、直線ストロークの強弱や曲線処理などが独創的で一目でわかる極めてクセの強いものだったが、奇妙なSF的異質感を見事に表現していた。これはフォントの重要性に認識の浅い時代、世界観の装飾として独自フォントが設計された最初期の一例であり、ゲームにおけるタイポグラフィ史にとっては重要な意味を持つといえる。

物語性

この頃になると企画はある重要なターニングポイントを迎えることになる。それが物語を考えようという動きである。当初のストーリーはエスパーとサイバーの戦いというものだったが、あるキャラクタの登場が方向性を全く変えてしまうことになる。そのキャラクタは回転しつつ空を飛ぶ灰色の板といったデザインで、映画「2001年宇宙の旅」に登場した「モノリス」をオマージュしたものだった。ドット絵のデザインはMr.ドットマンこと小野浩氏が担当していたが、この「バキュラ」のデザインは遠藤雅伸氏が持ち込んだものだった。これを面白いと感じた小野氏は、グレーでモノトーンなデザインで統一されたキャラクタイメージに合意したが、結局のところは遠藤氏が敵キャラクタのデザインを担当することになった。その他にも海外SFドラマ「謎の円盤UFO」や「宇宙空母ギャラクティカ」、映画「スターウォーズ」など作品から着想を得た多くのキャラクタがデザインされている。こうしてバキュラに端を発し、様々なSF作品のエッセンスを積極的に取り入れることで、単にキャラクタのデザインがなされただけでなく、ゲーム全体の世界観が形を成していくこととなった。

ビジュアル

かといって、ビジュアルが二の次にされた訳ではない。むしろゲームに触れ誰しもが最初に感銘を受けるのはビジュアル表現の美しさである。当時はどんなジャンルのゲームにせよ黒画面に単色ないしは奇抜な配色のキャラクタや障害物が配されたものがほとんどであったし、アニメーションの世界ではすでに富野由悠季氏がガンダムを世に問うていたような時代であったにも関わらず、ゲームに出てくるメカは原色に色分けられた幼児向け玩具のようだった。だが本作は違う。鮮やかな新緑の森と草原、広がる深く青い海、荒涼とした砂漠など、かつてない彩り豊かな世界が画面内に広がっていた。そこに登場するキャラクタは、使用できる色数が制限される中、敢えて色相を犠牲に輝度を優先することで、独特のリアリティを持った無機質でメタリックな表現がなされていた。

タイトル

ゲームとしての体裁が整い、表に出すための次のバージョンの製作に入ると、正式なタイトルとして「ゼビウス」の名が冠された。また、各キャラクタにも名前が与えられることになるが、この時に使用されたのが「ゼビウス」のために作られた言語、通称「ゼビ語」である。語感は、アニメ「伝説巨人イデオン」の影響を強く受けており、遠藤氏個人の趣味趣向を色濃く反映していた。文法は定義されておらず、実際には400程度の単語を創作、100程度が公開されたに過ぎず、人工言語にはほど遠いものだが、「ゼビウス」の持つ世界観にリアリティを持たせる要素としては十分すぎるものだったのは間違いない。

イラスト

ナムコ ミュージアム オブ アート第2回 ゼビウス(1983年)
ナムコ ミュージアム オブ アート第2回 ゼビウス

「ゼビウス」のデザインはドット絵が開発素材として先行して作られ、販売促進などのために後から遠山茂樹氏によってイラストが起こされた。遠藤氏は遠山氏に頼んだ出来栄えが余りにも良かったため、イラスト化されたキャラクタからわざわざ再度ドットを打ちなおす労力を惜しまなかった。敵の浮遊要塞アンドア・ジェネシスに至っては、開発から上がってきたイメージは円形で立体感に乏しいものだったが、円形にこだわる必要性を見出せなかった遠山氏は、円形のブラッシュアップデザインも作成した上で、採用に至る八角形のデザインを作成している。

ナラティブ

遠藤氏は当時のシューティングゲームとしての文法に対して「理論武装」が欲しかったと語っており、現在では文芸理論の用語を借用して、物語を意味する「ナラティブ」とこれを称している。「なぜ敵は攻めてくるのか」「なぜ特攻してくるのか、命は惜しくないのか」と言った疑問に対して「シャイアン(ゼビウス)」はそれをすべて否定する方向で考えられた。そうした設定を丁寧に積み重ねることで、初めて世界観は構築されるからである。
マップデザインにおいて、砂漠にできた空白を何らか埋める必要性に迫られた時、デザインの小野氏はナスカの地上絵をそこに配した。それには深い意味があった訳ではなく、たまたま手にしたレコード屋の袋に描かれていたものにインスピレーションを受けて作られただけのモノだった。
「ゼビウス」の名はメビウスに似た語感の神秘性や、濁音の持つ力強さから採用されたが、遠藤氏は決定に関与しておらず、「ゼビウス」という言葉には何の意味もなかった。
上層部からは当時話題となっていた「グランドクロス」つまり「惑星直列」をゲームに取り入れたいと要望があった。何の脈略もない無茶振りである。
いずれも、今ならば一蹴されて終わるような話だが、しかしそれでも遠藤氏はそういうすべてを取り込んでやろうと考えた。そうして出来上がったのが、登場キャラクタの詳細な設定や、ゼビ語といった文化の創作であり、「ファードラウト・サーガ」と呼ばれる壮大なバックグラウンドストーリーだった。むろん、すべてがゲーム内で表現されている訳ではないが、それらを元に作り上げられることでゲームは世界としての整合性、統一性を得ることができ、サイエンス・フィクションとしても一級品となりえる。例え「ゼビウス」のようにそうした設定を稼働当初ユーザは知りえなかったとしても、間違いなく世界は魅力的に映り、計り知れない衝撃を与えることを「ゼビウス」は証明した。

アルフォス

Alphos for the NEC PC-88
PC-8801版 アルフォス

「ゼビウス」の移植に対する要望は後年の発売状況から見れば良く判る話だが、当時プラットフォームとなりうるパソコンではスプライト機能を持つものはなかったため、移植は絶望的に思われていた。しかしながら森田将棋などで有名なプログラマーの森田和郎氏によって、ゼビウスに酷似した「アルフォス」が開発された。「アルフォス」は「マイコンでゼビウスのようなゲームは本当に不可能なのか」という実験的な発想から生まれたもので、エニックスから発売するにあたり、ナムコから正式な許諾を受けている。

ファミコン版

CM Namco ナムコ 1984年 Famicom (NES) – Hosono Haruomi 80's
ファミコン版 ゼビウス TVCM

ファミコン版は、当時としては群を抜いて高い移植度の作品で、アーケード版のプレイ感覚そのままに遊ぶことができると言っても過言ではなかった。明確な違いとしてはナスカの地上絵がないことで、これはゲーム性に直接影響のある者ではなく、BG用のメモリ容量の都合上は致し方なかったためなのは容易に想像がつく話だが、ナスカの地上絵が醸し出す雰囲気と謎にロマンを感じるユーザも少なくなかったため、批判こそ少ないものの残念度合いは高かった。

もう一つの大きな違いは浮遊要塞であるはずのアンドア・ジェネシスが、地上に張り付いており浮遊していないことである。これもファミコンのグラフィックス性能上、再現が困難だったためのもので、こちらもゲーム性には影響が出ないよう工夫して、アンドア・ジェネシスが出現するようになっている。

他にも細かな違い、制約は見られるものの、ゲーム性についてはおおむねアーケード版を踏襲しており、ユーザの満足いく完成度となった。数十万円するパソコンよりも、たった1万5千円のマシンの方がゼビウスを忠実に再現してしまったことは衝撃的であり、ファミコンブームの要因の1つとなったことは間違いない。ゼビウスは累計で127万本を売り上げ、ファミコン初のキラーソフトとも称された。

<参考文献>

 -書籍-

  • idea (アイデア) No.352 2012年05月号  著:アイデア編集部 出版:誠文堂光文社
  • アーケードゲーム・タイポグラフィ ビットマップ書体の世界 著:大曲都市/訳:井原恵子 出版:グラフィック社 ISBN978-4-7661-3319-6(4-7661-3319-6)
  • ALL ABOUT namco ナムコゲームのすべて 出版:電波新聞社
  • アーケードゲーム進化論 シューティング編 監修:前田尋之 出版:オークラ出版 ISBN978-4-7755-2540-1
  • ゲームサイド Vol.18 2009年06月号 編集:ゲームサイド編集部 出版:マイクロマガジン社
  • ゲームサイド Vol.23 2010年05月号 編集:ゲームサイド編集部 出版:マイクロマガジン社
  • シューティングゲームサイド VOL.0 編集:ゲームサイド編集部 出版:マイクロマガジン社 ISBN978-4-89637-378-3
  • ファーミリーコンピュータパーフェクトカタログ 監修:前田尋之 出版:ジーウォーク ISBN978-486297-969-8(4-8629-7969-6)

 -Web-

 -動画-

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