ファミコンを振り返る – ロードランナー

Game

ロードランナー

タイトルロードランナー
発売日1984年07月20日
販売元ハドソン
価格4,500円


「ロードランナー(Lode Runner)」はファミコンで初めてとなるサードパーティ製のゲーム。敵ロボットに捕まらないようにステージ内に散らばる金塊をすべて集めて脱出するのが目的のシンプルなアクションパズルになっている。足下に穴を掘ることで、ブロックに囲まれた金塊を回収したり、迫りくる敵を穴に落として回避したりなど、アクション性とパズル性の両方に深みを与えているのが特徴。

オリジナル版のロードランナー

オリジナルの開発者は米国ワシントン出身のダグラス・スミス(Douglas E. Smith)氏。1982年当時大学生だったスミス氏が開発したゲームを米ブローダーバンド社(Broderbund)に持ち込み、その後改良を重ねた結果、翌1983年に同社からApple社のパソコンAppleⅡ向けに発売されたのがロードランナーのはじまり。

スミス氏が友人のアイデアにヒントを得て最初に開発したバージョンは、5階建てのフロアが梯子で繋がれたステージを主人公が敵を交わしながら最上段まで登っていくゲームで、敵を回避するために床を掘って下のフロアに落とすことが出来ることが特徴だった。開発が進むにつれ、フロアを構成するブロックの配置がより複雑になり、ボーナスアイテムとしての金塊が配置された。またステージのエディット機能も付属された。この頃のバージョンは見た目がドンキーコングに似ていたことから「Kong」と呼ばれていた。開発は大学のミニコンであるDEC(Digital Equipment Corporation)社のVAX(時期的に見てVAX-11)上で行なわれていたが、およそ1億円もするコンピュータ、ビデオゲームの開発に大学の資産を使用する許可など降りている筈もなく、完成まではgraphと呼ばれ、秘密のパスワードでkongが起動するようになっていた。パスワードは学生の間では公然の秘密であり、ミニコンの動作プロセスを覗くとユーザの8割でgraphが動いていたとかいないとか。

Miner(のコピー品と思われる)

そして甥っ子に自宅でも遊びたいとせがまれ、友人のAppleⅡを借りて開発したのが、ロードランナーのプロトタイプとも言える作品で、「炭坑夫」を意味する「Miner」と呼ばれた。これまでのバージョンでは主人公は「$」、梯子は「H」などのように英数記号を使って表現されていた画面情報だったが、このバージョンで初めてキャラクタグラフィックが使われるようになった。デバッグ機能として搭載したステージのエディット機能もプレイヤーに好評だったため、誰でも使えるように改良が為された。
スミス氏はこれを4社に売り込み、ある会社は10万ドルでの買い取りを申し出たというが、彼は1万ドルでブローダーバンド社に売ることを決めた。これは以前からブローダーバンド社のソフトウェアに馴染みがあったことに加え、ロイヤリティーとして売り上げの23%が提示されたことが決定打となった。スミス氏の選択は正しく、彼は結果的には200万ドル以上の収益を得ている。
なお、Minerはコピーが外部に流出してしまったらしく、ここに添付した動画も含めMinerとして世の中に出回っているものは、それを誰かが作り直したものだと言われている。オリジナルの Minerにはキャラクタのアニメーションがなく、従って主人公は歩くというよりは滑るように移動する。またサウンドはおろかタイトル画面さえも実装はされていなかった。当時、Minerのコピー品が南カルフォルニアで広く配布されていたことについて、スミス氏は交渉のあった4社の内のSirius Software社が流出させたとして避難しているが、実際のところ、どこから流出が始まったのかは不明である。

AppleⅡ版のLode Runner

1983年、ブローダーバンド社から販売されるにあたっては、正式に「Lode Runner」のタイトルが冠され、キャラクタのアニメーションやサウンドが実装された。タイトル画面はブローダーバンド社に居た元ディズニーのアニメータがデザインを行なった。ちなみに「Lode」は「鉱脈」を意味する英単語で「道」を示す「Rode」ではない。ブローダーバンド社からの要求でスミス氏を悩ませたのは150というステージ数の実装だったが、とてもそんな数は作れなかったので、近所の子供を呼び集めて一面作る毎にこづかいを与えて切り抜けたという。この時にもエディット機能は大いに役立ったようだ。こうして発売にこぎつけたロードランナーは一ヶ月のロイヤリティーが77,000ドルを超える大ヒットとなった。スミス氏が来日した1985年時点では米国で15万本、日本で約200万本のセールスを記録していたという。日本での販売本数は半数がファミコン版ロードランナーのことである。

<バンゲリング帝国三部作>
ブローダーバンド社の「ロードランナー」は同社の「チョップリフター」「バンゲリングベイ」と合わせて「バンゲリング帝国三部作」と呼ばれている。「ロードランナー」はバンゲリング帝国に強奪された金塊の奪取、「チョップリフター」はバンゲリング帝国に捕まった捕虜の救出、「バンゲリングベイ」はバンゲリング帝国に建造された軍事施設を攻撃ヘリで爆撃するゲームとなっているが、バンゲリング帝国が舞台となっている以外は設定上の統一性もなく、開発者も異なるため、おそらくはブローダーバンド社の販売戦略としての後付け設定であると考えられる。
ファミコン版は「ロードランナー」と「バンゲリングベイ」がハドソンから、「チョップリフター」がジャレコから発売されているが、こちらは「バンゲリング帝国三部作」に関する公式な言及はされていない。

ファミコン版ロードランナーの主人公ランナーは、地下で爆弾を作るために働かされていたロボットという独自の設定があり、そのスピンオフ作品がファミコン版のボンバーマンということになっている。少々ネタバレになってしまうが、ファミコン版のボンバーマンではエンディングで主人公のボンバーマンがランナーに変わり、「SEE YOU AGAIN IN LOAD RUNNNER」のメッセージが表示され、「ロードランナー」と「ボンバーマン」の主人公が同一人物であることを示している。ボンバーマンはハドソンのオリジナル作品でり、ブローダーバンド社のオリジナル版ロードランナーとは何の繋がりもなく、これらの設定はあくまでもハドソン独自の設定である。また、後にボンバーマンのキャラクタ設定が別途確立したことで、以降の作品には継承されていない。

日本初のロードランナー

NEC PC-100 とバンドルソフト

日本国内でロードランナーが最初に発売されたのはシステムソフト社の移植によるオリジナル版を踏襲したもので、NECのPC-100というパソコンにバンドルされた。前述の通り、ロードランナーはダグラス・スミス氏による持ち込みだったために、ソースコードは氏の手元にしかない状態だった。しかもこの時の彼は交通機関もないような人里離れたロッキー山脈の山奥で生活しており、システムソフト社の社員は冗談抜きで命懸けの旅の末、ようやく映画にでも出てきそうな山小屋にたどり着く。通された仕事場には埃だらけの机上にAppleⅡが一台あるだけで、しかも肝心のソースコードはフロッピーディスクにコピーする途中でエラーが出てしまい、コピーできたかすら怪しい状態。そもそも予備がないと言っていた中をかろうじて探し出した貴重なフロッピーディスクだったため、彼らは運を天に任せるしかなかった。そして案の定、持ち帰ったフロッピーディスクからすべてのデータを読み出すことはできなかったが、当時の担当プログラマーの技術により最低限必要な情報は解析することができ、何とか事無きを得たという。

早期参入の理由とライセンス
ファミコンの登場以前からシャープのパソコンMZシリーズを起点としたソフトウェア開発を行なってきたハドソンは、同パソコンシリーズ向けの高性能なBASIC言語Hu-BASICをヒットさせるなどしてきたことでシャープとの強い関係を結んでいた。X1シリーズなどの同社パソコンでも開発言語の共同開発を行なうなどシャープからの信頼は厚く、そうした中でシャープが任天堂向けのBASIC言語の開発環境であるファミリーベーシックの開発でハドソンを頼るのは極めて自然の流れだった。

任天堂から送られてきたどちらかといえば貧弱な開発機材はハドソンにとって満足のいくものではなかったが、自社で所有していたDEC(Digital Equipment Corporation)社のミニコンPDP-11といった高度な開発環境を利用、HuBASICをベースすることであまり時間を要することなくファミリーベーシックは開発された。2キロバイトの低メモリ容量で、使用できるグラフィックが固定されているなど、制限は厳しいものとなったが、小規模な命令体系のシンプルな作りになっており、決して高性能ではないものの、安価なプログラミング入門機として一定の評価はされるものとなり、販売台数も70万台と他社ホビーパソコンなどに比べれば圧倒的な数を売り上げる結果となった。

ファミコンの発売を前にしてファミリーベーシックの開発に携わることでハドソンはファミコンを注視するようになる。パソコン業界におけるゲーム市場で高い評価を受けていたハドソンだったが、それゆえに数十万円するパソコンですら実現性皆無であったようなアーケードゲームが、高々1万円半ばの家庭用ゲーム機で遜色なく楽しめることには驚愕する以外なかった。ファミコンが発売日を迎えると、ハドソンはその年の秋には早々にゲームソフト開発を決定した。開発に必要な情報はすでに揃っていた。独自解析をせずともハード構成は判っていたし、そのハード性能を生かす方法までも熟知していたと言っても大げさではない。ファミリーベーシックの開発はそれほど有意義なモノだった。そして何よりハドソンには優れたゲーム開発環境と、優秀でゲーム開発に適した人材に溢れていた。それが迅速な行動を後押しした。いざとなればシャープの口添えを期待しつつ、ハドソンは真っ先に開発環境の開発を進める。現代ではゲーム機メーカーがサードパーティに開発環境を提供するのが一般的であるが、市場を開拓したばかりの任天堂には未だそうした発想がなく、それはハドソンも同じだったため、ハドソンが自社で開発環境を構築することは当時にしてみれば不思議なことではなかった。

開発環境が揃ったことでハドソンはライセンス交渉に望むこととなるが、交渉の場は意外なほどスムーズに得ることとなる。任天堂にとってはシャープの仲介とあっては無碍にはできず、かといって他社によるファミコン参入の申し出は寝耳に水であり、想定外の出来事だった。それでも任天堂は申し出を快諾し、契約条件においても、ハドソンには有利なモノとなるとともに、後のサードパーティライセンスの基礎となる重要な契約となった。ライセンスには、カセット製造は任天堂の工場が受け持つこと、その製造費用は前金で半額を用意すること、粗悪品の濫造を避けるため年間タイトル数の制限されることなどが含まれる。少なくともハドソンは、手数料を低く抑えられた点と、年間のタイトル数に制限がなかった点において、早期参入のアドバンテージを得ることとなった。

ファミコン版のロードランナー

ゲーム画面

ファミコン版のロードランナーは、ブローダーバンド社との交渉でハドソンが「バンゲリングベイ」とセットで版権を購入した。開発を担当した中本伸一氏曰く、ブローダーバンド社側から提供されたAppleⅡ版のソースコードが綺麗なものだったため、動かすだけなら簡単だった。ただファミコンのカセットが16キロバイトROMなのに対して、48キロバイトのRAMをフル活用したオリジナル版のソースコードに加え、エディタ機能とデーターレコーダーへの保存機能まで格納しなければならなかったことから、移植の大半は圧縮作業に取られていたという。

とはいえ、ファミコン版では表示周りは大きく変更が為されている。オリジナル版ではブロックや梯子、主人公や敵など、ゲームの構成キャラクタは長方形を基準とした小さなサイズでデザインされ、簡素な記号的デザインのオブジェクトと、キャラクタ性のない棒人間に過ぎなかったのに対して、ファミコン版のキャラクタは正方形を基準として、主人公のランナーや敵のロボットなど個性豊かなキャラクタに仕上がっている。なおデザインはプログラマの竹部隆司氏が行なっており、歩行パターンに苦労した氏はドンキーコングのROMからアニメパターンを吸い出して参考にしている。
基本サイズを正方形にしたことで、オリジナル版では1ステージが一画面構成だったものが、1ステージはスクロール式の二画面構成になった。このことで全体を見渡すことができず、パズル性が損なわれることを懸念したブロードバンド社はこの案に難色を示していた。しかし、むしろアクション性が高まるとしてハドソン側は説得、この仕様を承諾させた。初期のファミコンというプラットフォームにおいては、画面を前にしてじっくり戦略を練るよりも、操作する中で遭遇するドキドキ感を伴うアクション性の方が求められていたことは確かで、子供への訴求力という意味ではキャラクタ性に優れた外観も重要な要素だったと言える。

裏技の起源

エディットモード

ロードランナーには隠し要素が存在する。その1つがフルーツ。ステージ中で敵のロボットを5体以上倒してから最期の金塊を回収するとフルーツが出現、これを回収してステージをクリアすればボーナス点が貰える。この要素はオリジナル版には無いファミコン版に仕組まれた独自の要素であった。またオリジナル版から存在するものとしては、例えば敵の頭渡りがある。これは最初から考えて実装されたものではなく、元々はバグだったことをスミス氏は告白しているが、後に発売されるチャンピオンシップロードランナーではクリアに必須のテクニックとしてステージが設計されるなど、無くてはならないものになった。

そうした隠し要素の中でも、ファミコン版のロードランナーには特に注目すべきモノがある。それは主人公が右手を上げたキャラクタパターンの時には当たり判定がなくなるというもので、これを利用すると梯子の途中で敵が主人公をすり抜けて行ったり、消したブロックの下に梯子があれば復活したブロックに主人公が埋められてもミスにならなかったりといったことが可能になる。
しかしこのテクニックは、前述のフルーツや敵の頭渡りが意図的に仕込まれたり、仕様として残されたりしたものとは決定的に異なる点がある。それは出荷時には誰も気づいていない発売後に発覚したバグであり、ゲーム性を崩壊させかねない致命的な不具合であったという点だった。近年のゲーム機のようにネットに繋がる機能はなく、というかインフラとしてのネットが世の中に存在しておらず、従って修正パッチを配布するようなことも出来ない。そもそもファミコンのカセットはROM(Read Only Memory)であり、修正を書き込むことすらできないのである。ユーザに修正版を渡すには、修正版として制作した新規カセットと交換しなければならず、出荷本数が100万本を超える大ヒット作品となった本作にリコールの対応が取れる程の企業体力はハドソンには備わっていなかった。しかしそこで、当時ファミコンの促進を狙って協力関係にあった小学館のコロコロ編集部からある解決策が提案される。それはこのバグをテクニックとして敢えて公開してしまうという逆転の発想ともいうべきもので、表立ったテクニックではない裏の技、すなわち裏ワザがこの時生まれたのである。これは苦悩の末の苦肉の策であったはずだが、結果的に見ればゲーム業界における偉大な発明だった。プログラムにおいて100%バグのないソフトウェアなど、現在においてさえ(むしろ高度に複雑化した現代の方が)存在しえないものであり、意図的に隠し要素を盛り込む文化の促進にも繋げるものとなったことで、ゲームに多様性を与えたと言っても過言ではない。

ファミコン版のロードランナーは累計で約110万本を売り上げる大ヒット作品となった。ロードランナーの売り上げはソフト単体で、前年までのハドソンの売り上げを超えてしまう程になり、否定的だった家庭用ゲーム機へのサードパーティ参入への認識を一変させてしまう。ロードランナーは単に最初のサードパーティ製ソフトなだけではなく、数々の名作ゲームを生み出すキッカケを作り、ファミリーコンピュータの名を世に知らしめるキッカケを作ったゲームなのである。

タイトルとURLをコピーしました